地から

地のひと

「地から」の本誌とは別に、いわてで活動している
「地のひと」をご紹介します。

かたわらにあったら嬉しいお菓子を。

地のひと # 01 | mum・菊地千夏 さん

お菓子にまつわる記憶は、いつも母の思い出と重なる。毎年、3人兄妹の誕生日には、母が特別なバースデーケーキを焼いてくれた。小学生の時、初めて作ったバレンタインチョコレートも、高校時代によく友だちに振る舞ったスノーボールも、母から教えてもらったお菓子だ。

ものづくりが好きな母は、ことあるごとにお菓子をつくってくれた。今考えると、当時の母にとってお菓子づくりの時間は、日常から逃避するためのシェルターだったのかもしれない。甘い香りの漂う幸せな時間を母と分け合い、一緒にお菓子をつくるのが好きだった。母の嬉しそうな顔を見ていると、なんだか、とても安心できたから。

「母との時間を重ねながら、いつの間にか自分の中にお菓子づくりが染み込んでいったのかもしれません」

そう話すのは、奥州市を拠点に「mum(マム)」を主宰する菊地千夏さん。実店舗を持たず焼菓子をメインに活動している人は数多くいるが、彼女の場合はあえて一線を引きたい。なぜなら千夏さんは、もともとは和菓子職人。洋菓子と和菓子の境界線を自由に行き来できる特別な人だからだ。

例えば、とあるイベントで千夏さんがつくったお菓子を紹介してみたい。和紅茶とラベンダーの琥珀糖。白玉とトマトジュレ、白餡をひそませたスイカのスープ。マスカルポーネと胡麻を仕込んだ抹茶の水羊羹……これは日本酒と和菓子のペアリングを楽しむイベントで出された創作菓子だが、品書きを読むだけで、むくむくと想像力をかき立てられる。和菓子づくりの確かな知識と技術を土台に、発想はどこまでもやわらかで自由。味わいのおいしさはもちろんだが、どれも美しく、吟味を重ねて作りこまれているのがよくわかる。

さぞかし、お菓子づくりに強い思い入れがあったのだろうと思いきや、実はそうではない。進路の決定を迫られた高校生の時、「手に職を」と選んだのが製菓専門学校だったという。もちろん好きだから「製菓」の道に進んだのだが、職人になるのが夢だったわけでもなく、どこかぼんやりとした気持ちのまま入学した千夏さんは、そこで和菓子に出会った。

「和菓子の繊細さに惹かれたんです。例えば小豆を炊くのでも、その日の気候や気温・湿度によって加減が変わりますし、生地の仕上がり具合も手の感触で判断する。洋菓子にはあまり個体差が出ないんですけど、和菓子はつくり手の塩梅で色味も違えば、模様の出し方も違う。すごく“人”が出る、だからこそ深めたいと思ったんです」

手指の感覚だけで、きっちり15グラムの餡を正確に取り出す。日々、朝練と夕練を繰り返していくうちに、指が重さと大きさを覚え、ぴたりと測れるようになる。やればやるほど、上達していくのが楽しくて仕方がなかったという。 ところが、就職を機に楽しかった和菓子づくりは苦しいものになる。卒業後、都内の和菓子屋で働き始めた千夏さんを待っていたのは、想像以上に過酷な日々だった。毎朝5時半には店を開けて小豆を炊き、時には深夜に出勤して朝まで仕事をすることもあり、千夏さんは次第に疲弊していった。そんな状況の中で、唯一の心の支えだったのが、故郷に帰省して友だちと会う時間。やっぱり、岩手に帰りたい…。2年ほどで店を辞めた千夏さんは、迷うことなく奥州市に戻り、地元の菓子店で働くようになった。

「私、他の人の言動で揺らいでしまうことが多かったんです。最初の店でも地元の店でも、上の人の気分に振り回されてしまうのがすごく嫌で。誰にも左右されず、自分が本当につくりたいものを自由につくりたい。そんな気持ちが芽生えてきたんです」

仲のいい友だちが、それぞれの仕事で独立し始めていたことも、千夏さんの背中を押した。ひとりでやってみよう。菓子店で働きながら、自宅に小さなアトリエ「mum」を立ち上げ、少しずつイベントにも出店。焼菓子が中心だったが、たちまち評判になり、あちこちのイベントや店から声がかかるように。やがて覚悟を決めた千夏さんは、店を辞めた。多少の不安はあったものの、「つくることが楽しくて仕方がない」気持ちが戻ってきたから。

「mum」という名前は、菊(chrysanthemum)に由来する。「一番身近で、寄り添える花ってなんだろう」と考えたとき菊の花が浮かび、自分の苗字にも「菊」が入っていることに気づいた。覚えてもらいやすいように、略して「mum」。手書きのロゴに、菊の花のイラストを添えているのも千夏さんらしい。

独立当初は、つくりたいものを自由につくれることが、とにかく嬉しかった。和菓子、洋菓子という型にはまらず、自分なりの表現を形にしていく楽しさ。そして、そのお菓子を喜んでくれる人がたくさんいることの幸せは、千夏さんを支えてくれた。 「ある時、お客さんから言われたんです。『いろいろ行き詰まって苦しかったけど、千夏さんのお菓子を食べたら、なんだか涙が出ました』って。それがすっごく嬉しくて、私までジーンとしちゃって」

自分のお菓子の向こう側にある、一人ひとりの人生と悲喜こもごも。 楽しい時、しんどい時、寂しい時、「そこにあったら嬉しいって思ってくれるようなお菓子をつくりたい」と、千夏さんはいう。ちょっとでも前向きになったり、気持ちを切り替えたり、少しだけ笑えたり。食べてくれる人の心に、そっと寄り添うようなお菓子。それは、菊の花が授けてくれるささやかな優しさによく似ている。

今、千夏さんはフリーランスの仕事をお休みし、水沢駅の近くにある「planter」というカフェ&シェアオフィスで、カフェスペースを仕切っている。長年の友人である編集者とカメラマンに誘われ、迷いに迷った末に運営に加わることを決めたのだ。

「これまでは自分から動くことが多かったのですが、店に立つようになってからはひたすら“待つ”という真逆の日々です。でも、目の前でお客様の反応が見れたり、感想をもらえるのはすごくありがたい。年代を問わず、リピーターのお客様が多いのも嬉しいです」

カフェのメニューには、千夏さんのつくった定番のケーキや焼き菓子、日によって変わる気まぐれお菓子が並び、訪れる人を楽しませている。

フリーランスからカフェの運営へ。スタイルは少し変わったけれど、お菓子づくりのスタンスは何も変わらない。型にはまらず、行ったり来たりしながら、日々頑張っている人たちの気持ちに寄り添うお菓子を。その想いを胸に、新たな“場”を得た彼女が、これからどう進化していくのかも楽しみでならない。

さて、そろそろティータイム。千夏さんのお菓子で休憩しましょうか、ね。

■mum

https://www.instagram.com/mum.atelier__/?locale=ja_JP

PHOTO:菅原結衣